|
『経済政策論争が何故起こらないのか?』・・・山本幸三
1. (経済政策論争は、どこへ行った?)
最近不思議なのは、経済政策についての論争が全く行われないことだ。竹中大臣は、「景気は、順調に回復している。」と強調するが、依然デフレは続いているし、雇用も賃金も厳しい状況にあるのは変わらない。株価も一進一退で、冴えない状況を繰り返している。10月から年金保険料も上がるし、来年からは、所得増税も始まる。一部の大手製造業は、リストラ効果と対中、対米輸出増のお陰で、空前の利益を上げているが、中国も米国も金融引き締めに転じたので、先行き黄信号が点もってきた。東京や名古屋は景気が良いかも知れないが、地方都市は、いよいよシャッター通りが増え、倒産や廃業する業者が増えてきた。従来なら、こうした時必ず、補正予算の話や中小企業金融の話が出てきたものだが,今や全く音無しである。
小泉総理が健全財政論者で、「補正はやらない。」と宣言していることもあって、諦めムードが支配しているからとも、内閣改造前で小泉総理に睨まれたくないからとも言われているが、情けない話だ。デフレを解消しないで財政再建など出来る訳が無いのに、国の行く末より自分のポストの方が大事なのだろう。
ただそれ以上に、私の10年間の国会議員としての経験から言うと、その根本には、政治家が、経済政策について、自信を持って発言するだけの理論を有していないということがあるように思える。「永田町には、経済学がないのだ。」とも言える。今後、そうした例を少しずつ紹介していくこととしたい。
2. (原始ケインジアンの理論)
永田町の政治家の間で、経済理論らしきものと言えば、「原始ケインジアン」の理論であろう。経済は、好況と不況を繰り返していくが、「市場経済の下では、放っておけば、物価や賃金が上下して自然に調整される。」というのが、いわゆる「古典派の理論」である。これに対し、ケインズは、「賃金には下方硬直性があるので、その調整が効かず、不況が解消しない。市場の失敗である。そこでは、政府が介入して、人為的に有効需要を拡大するしかない。」と主張したのである。このケインズの政策の代表例が、米国のニューディール政策であり、日本の所得倍増政策である。
不況になれば、公共投資拡大か減税あるいはその組み合わせしかないと考える、この財政政策一本やりの考え方を、「原始ケインジアン」というのである。日本ではこれが、戦後今日に至るまで一貫して採られてきた政策である。日本の政治家の中で最高の経済通であるとされる宮沢喜一元総理自身、「自分は、根っからのケインジアンである。」と公言していたのであるから、他の政治家も押して知るべしである。
この「原始ケインジアン」理論の最大の問題は、そこに金融政策や為替政策の重要性が全く認識されていないことである。確かにこれは、30年以上前の固定相場制の下では、有効だったかも知れないが、変動相場制になると事情は全く異なるのである。このことが「原始ケインジアン」には、理解されていない。即ち、日本の政治家の経済理論のレベルは、30年以上前の固定相場制の時代のレベルに止まっているのである。
なお、ケインジアンの前に「原始」が付くのは、最近の新しいケインジアンは、金融面を重視し、マネタリストと余り変わらないようになってきており、ただ「市場の失敗」ということがケインジアン的というようになってきているからだ。新しいケインジアンを「ニュー・ケインジアン」と言い分けている。
3. (変動相場制の下での経済政策)
それでは、変動相場制の下での経済政策はどうあるべきかというと、財政政策ではなくて、金融政策が最も重要になってくる。このことを、理論化したのが、マンデルとフレミングという二人の経済学者で、この政策理論は、二人の名前を採って、「マンデル・フレミング理論」と呼ばれる。
「マンデル・フレミング理論」によれば、変動相場制の下では、「原始ケインジアン」流の財政政策一本やりの政策は効果を持たないという。そのロジックは、こういう具合になる。まず、財政支出を拡大すると、お金の量が増えない限り、政府と民間との間でお金の取り合いが起こり、その国の金利水準に上昇プレッシャーがかかる。金利が上がり始めると、海外の資金が日本国内に流入し始める。そうすると、当然外貨が売られて円が買われる訳だから、円高になる。円高になると、輸出が減り、輸入が増えるという形で、国内経済にマイナスの影響を与える。その結果、当初の財政支出拡大の効果が相殺されてしまうのである。つまり、固定相場制の下ではあれだけ効果があった「原始ケインジアン」の政策が、変動相場制の下では、全く無力化してしまうのである。
日本が変動相場制に移行してから、既に30年以上経つが、政治家や役人達の間で、この理論が全然理解されていない為に、不況になれば財政支出拡大を繰り返してきた。その結果は、景気回復の効果は一向に上がらず、国債残高だけが累積してきた。「失われた10年」と言われる93年以降の10年間の政策は、その典型である。
それでは、「マンデル・フレミング理論」が勧める政策は何かというと、それは、金融政策である。変動相場制の下での金融政策は、効果が倍増して、最も有効な政策になるというのである。その理屈は、以下の通り。
金融を緩和すると、お金の量が増える。そうすると、国内の金利水準は、下がり始める。金利が下がり始めると、国内での資金運用に魅力が無くなるので、資金が海外に流出し始める。円が売られ、外貨が買われる訳だから、円安になる。円安になれば、輸出が増え、輸入が減る。国内経済は、最初の金融緩和の効果と円安の効果と二重のプラス効果の恩恵を受けるのである。
「マンデル・フレミング理論」が教えるように、「変動相場制の下では、不況対策としては、金融緩和政策しか無い。」のであるが、我々日本人は、そのことを理解していなかった。その為、今日のような、未だにデフレから逃れられず、他方で国債累増に苦しんでいる。この間、日本銀行の独立性の議論も起こってきて、日銀法が改正され、粋がった日銀が、政府の方針と正反対の金融政策を採ったりしたことも、日本人の不幸を増幅したりした。
4. (国会での議論)
私は、「マンデル・フレミング理論」に基づいて、「財政支出拡大政策ばかりでは効果が無いので、考え直すべきだ。」という問題意識を持って、国会質問をした。1997年2月5日の衆議院予算委員会(総括質疑)である。
私は、まず亀井静香建設大臣(当時。以下同じ。)に、「建設大臣は、今回の予算は景気対策も含めた見事な予算だと発言しておられるが、公共投資の乗数効果は、どれ位あるとみておられるのか?」と、尋ねた。亀井大臣は、経済企画庁の世界経済モデルで得られた数値を引用し、「初年度に1.23、3年目には2.13になる。」と答えられた。
そこで私は、「しかし、昨年(96年版)の経済白書によると、1.23どころか、0.83位にしかならないと書いてあるではないか?」と畳み込んで質問した。実は、その経済白書には、「公共投資の拡大は、93年から94年にかけてGDP成長率を1%ポイント押し上げる効果があったとみられる。これは、92年度から93年度にかけて公共投資が15%ポイント前後増加したことと対応しており、公共投資のGDPに占めるシェアが8%程度であったことを勘案すると、90年代においては、公共投資自身の需要としての効果が主体であり、公共投資はそれ自体の成長率押上げ効果から景気を下支えしたものの、民間需要に対する波及効果(乗数効果)はバブル崩壊等の影響により相殺されて顕在化しなかったとみられる。」と、書かれているのである。経済企画庁のエコノミスト達は、当然、乗数効果が小さくなっていることに気付いていた訳で、この事を、経済白書だけにこっそり忍ばせていたのだが、まさか、そんな細かい所まで読んで質問してくる国会議員がいるとは思わなかったのだろう、大混乱となった。
(注)0.83の計算は、1%ポイント÷(15%ポイント×8%ポイント)から。正確な乗数は、付注に掲載されており、1年目0.0334、2年目−0.0089、3年目−0.0279、4年目0.0057とマイナスの数字さえある。
麻生経済企画庁長官は、「公共投資を出せば、それ自身が需要となって直接成長率を高めることは間違いない。次に、乗数効果を通じて民間需要をどれだけ促進するかということについては、バブルの崩壊時期と言われた去年においては、その波及効果の及ぶ範囲が極めて低かったと昨年に限っての話を経済白書で出しておるのであります。」と答弁された。
しかし、これはおかしな話であって、経済白書は去年(96年)だけの話をしているのでないことは上記の引用を見れば明らかであるし、乗数効果というのも、当初の一次的効果だけを指すのでなく、二次、三次と全ての効果をひっくるめてGDPをどれだけ押し上げるかを示すものであるべきだからである。経企庁は、乗数効果が落ちたとはっきり認める訳にもいかないので―何故なら、予算を初め影響が大き過ぎるから―「バブル崩壊等の影響で相殺された。」というロジックを作り出し大臣に振付けたのだろうが、経済理論的ではなく、大臣もさぞかし困られたことであろう。
中名生政府委員(経企庁調査局長)に至っては、「92年までの10年間のデータを用いた世界経済モデルによる乗数効果は先のような数字(1.23など)となる。それから、昨年の経済白書で扱った90〜95年頃までの時期は異常な状態での話ということ。そして、最近時点では、景気が緩やかに回復してきて、乗数効果は元のところに戻ってきている。」とまで答える始末。
これには、さすがに私も呆れて、「たった半年で元に戻ったと言うなら、きちんと
証明してもらいたい。」と食い下がった。勿論、そんな証明が出来る訳が無いのだから、ここで審議をストップさせることも出来たが、それは私の真意ではないので、問題提起ということで、矛先を収めた。
その後、「乗数効果の低下問題」は、新聞紙上でも結構取り上げられ、また、「マンデル・フレミング理論」も、霞ヶ関の役人達の間ではかなり浸透してきたので、この質問の意義は、十分あったと思っている。
5. (サマーズの戦略にやられた日本)
私は、「失われた10年」というのは、「サマーズの戦略にやられた10年」とでも言えるのではないかと思っている。
サマーズとは、アメリカのクリントン政権時代の財務長官であったローレンス・サマーズのことである。彼は、26歳という最年少で、ハーバード大学経済学部の正教授になった俊才である。そのサマーズが、1993年クリントン政権誕生と共に財務省に乗り込んできた(当初は、財務次官として)。経済学の専門家であるから、当然、「マンデル・フレミング理論」は、知り尽くしている。
ここから先は私の推論だが、彼はこう考えたのではないか?
「アメリカの双子の赤字を解消し、同時に、日本の鼻をへし折ってやろう。どうせ日本の政治家は「マンデル・フレミング理論」など分かっていないだろうから、アメリカでは金融緩和によってドル安にし、他方、日本に対しては、市場開放と内需拡大を求めよう。そうすれば日本は、馬鹿の一つ覚えみたいに、財政拡大策を採るだろう。結果、円高となって、景気拡大効果は無い上に、財政赤字・国債残高だけは膨れ上がるだろう。」と。
この10年間に起こったことは、サマーズの狙い通りだったように思えてならない。何度も、景気対策と称して財政拡大策を講ずるが、一向に効果が無かった。日銀は、我が道を行くで、余程景気が悪化しないと金融緩和をしようとしなかった。日銀が金融緩和すると、すぐに景気は上向くのだが、そうすると97年の橋本総理のように財政再建路線を急ぎ過ぎて、また、失速する。この繰り返しばかりだった。そこに政策の一貫性と整合性が無く、無駄なお金を随分つぎ込んできてしまったという印象が強い。時の総理や大蔵大臣(現在は、財務大臣)、そして日銀総裁が経済学の基本を知らないことが、どれだけ国益を害するか計り知れないものがある。
日本では、政治家のみならず、リチャード・クー氏や植草氏など、民間エコノミストの間でも「原始ケインジアン」が多く、しかも、ほとんどが、証券会社系であったというのは興味深い。
6. (日銀の怠慢)
ここまで観てくると、変動相場制の下では、日銀の金融政策が決定的に重要だということがよく分かったと思うが、過去10年、日銀は、その使命を十分には果たして来なかった。80年代末のバブル経済を引き起こしたことに対する贖罪意識が強かったこともあるのだろうし、また、大蔵省スキャンダルを契機に盛り上がった「日銀の独立性」を確実なものにするには、大蔵省の言いなりにはならないぞという姿勢を示しておきたかったということもあるのだろう。国民の立場からすれば、不幸なことだった。
こうした日銀の姿勢を、何とか政府全体の経済政策と整合性を持たせるべく私が主張したのが、「インフレ・ターゲティング」であるが、これについては、項を改めて詳しく述べることとしたい。
いずれにしても、今こそ必要なのは、日銀の思い切った量的金融緩和策である。去年から今年の一月までは、それなりにお金の量を増やしていたのだが、今はストップしてしまっている。お金の量を増やしている時は、株も上がり、景気も着実に上向いたはずだ。それがストップすると、途端に、株も低迷するのである。ところが残念ながら、今、国会でそのことを強く主張する人が居ない。また「失われた10年」と同じ事を繰り返すのではないかと、心配でならない。
組閣が終わったら、大いに経済論争を、盛り上げてもらいたいものだ。
|