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衆議院議員 山本幸三
最近、道路関係四公団民営化推進委員会の猪瀬直樹氏などにより、「高速道路建設は一時凍結せよ」とか、「道路公団は民営化して上場せよ」とか、勇ましい議論がさかんに行われている。
しかし、これらには、「高速道路は公共財なのだ。」という最も基本的な観点が欠落しており、国家百年の大計を誤らせる方向に向かっているように思われる。こうした議論は、もっと冷静に理論的に行われるべきで、一時の熱病に浮かされたような浅薄な議論に流されるべきではない。
私的財は、ある財を個人が消費すれば他の人はもはやその財を消費できないのに対し、公共財は、ある個人がその財を消費している時、追加的に他の個人が同じ財の消費に加わっても両者の消費は互いに妨げられないという「消費の非競合性」を持っていることを特徴としている。もう一つの特徴として、ある特定の個人を排除しうるという、「消費の排除性」ということもあるが、これは、費用さえかければどの財も排除可能性を維持できるので、ある意味では、相対的な性質ということがいえる。
高速道路は、多数の人が同時に利用でき、明らかに、「消費の非競合性」を持った公共財であるが、この公共財の供給は、市場メカニズムだけに任せておくと、その特殊性のために、社会的な見地からの最適な供給量を達成できないことが、経済理論上知られている。
それは、私的財の最適供給の条件が、
追加的な財を供給する為の限界費用=追加的な個人の限界効用
という式で求められるのに対し、公共財では、
追加的限界費用
=個人Aの限界効用+個人Bの限界効用+個人Cの限界効用・・・
という複雑な形になるからである。
理論的には、国民一人一人の高速道路についての限界効用を示してもらうということだが、実際上は無理な話であって、結局、政府が国民全体の効用を推測して、政策的に供給量を決めるしかないということになる。いずれにしても、公共財は、「民では供給できず、政府が、その供給量を決定するしかない」のである。
高速道路の供給量が政府によって決定された次の問題は、その資金調達と利用者の料金をどう設定するかということである。本来、公共財は、税金で賄い、無料で提供するというのが筋であるが、日本の場合、道路公団を設立し、そこが借入れを行い、使用料金で長期に返済をしていくという方法を採った。税金で作るには一時の負担が大き過ぎるという現状では、こうした方式にも十分合理性がある。勿論、料金が高すぎるとか、公団の経営が効率的でないということには、当然批判があるが、それは、それ自体として改善すれば良い話であって、高速道路の供給まで止めるべきだということにはつながらない。
この資金調達と料金設定は、便宜的手段であって、いかようにも考えられうる。例えば、今のままでは、公団は永遠に返済できないというなら、もっと税金を投入すれば良いことだし、料金も、返済資金の調達という観点から離れ、混雑の度合いに応じて変化する混雑税として考え直すとか、色々な選択があり得る。こうした点については、大いに議論を深めてもらいたいが、本質の公共財としての意味だけは、是非とも忘れないようにしてもらいたいものだ。
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