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幸ちゃん物語
第23話 (大蔵省時代編)
国際交渉力
〜日米金融摩擦〜
ハーバードの研究員として、日米関係を分析しているうちに、次第に日本は今後どうなっていくのだろうか、国家目標、国家戦略として何をかかげたらよいのだろうか、それを実現する政治的リーダーシップは大丈夫だろうか、といった問題について考えるようになった。この思いは、帰国してからも、いよいよ深く私の頭をとらえて離れなくなった。
昭和五八年、二年間のアメリカ生活を終え帰国、国際金融局調査課の補佐となった。あまり面白いポストではないなと思っていたが、秋になって突然日米円ドル委員会が発足し、脚光を浴びた。
そのことを知る由もない帰国直後の七月、私は、大蔵省としても、対外関係を戦略論的に考える必要がある。国際金融局のみが、国際金融問題について対外交渉をするだけというのでは駄目だ。防衛問題も外交問題も含めた、総合的な対外戦略を練る必要がある。そのため、専門の学者、省内の関係者、それも防衛や外務の予算を担当している人も含めて幅広い人材を集め、議論する場を設けたらどうか、と幹部に提言したが、ほかの役所を刺激してもまずいということで、取り上げられなかった。出鼻をくじかれ、とてもがっかりした。
私は、日米関係は米ソ関係がどうなるかで決まると思っている。ホワイトハウスの最優先事項は、米ソ関係なのである。米ソ関係をうまくもっていくために、日米関係や米欧関係をどうしていくかということになる。すなわち、日米関係は、あくまで米ソ関係の一関数なのである。そうであれば、米ソの間の重要課題である核戦略問題ということについても、ある程度の理解が必要である。日米関係は、圧倒的に経済関係の比重が高いが、経済問題だけを議論していても事の本質を解決できない。だから、いつまでたってもアメリカはその要求をエスカレートするばかり、日本側は譲歩させられるばかりといった図式から抜け出せないのだ。
日本としては、早くその国家目標を明確にし、米ソ関係の推移を見ながら最適の選択を行っていくようにしなければならない。
これには、経済に関する深い知識とともに、外交・軍事の戦略に関する理解が必要である。そのような総合的対応策の検討を、大蔵省としても行っていかなければならないと思う。
そんなことをあれこれ考えているうちに、日米金融摩擦が風雲急を告げてきた。日米貿易摩擦が金融分野に飛び火し、一一月のレーガン大統領訪日の際のテーマとしても取り上げられることになったのである。
その舞台裏では、シュルツ国務長官とリーガン財務長官の功名争いや、財務省内部でのマクナマー副長官とスプリンケル財務次官との確執などが推測された。大蔵省は、金融問題のみがプレイアップするのはできるだけ避けたいと働きかけたが、うまくいかなかった。ヘタをすると、外務、通産などがメンバーである既存の日米投資委員会で取り上げかねない状況になってきた。事ここにいたり、大蔵省は一八〇度の方向転換をし、むしろ積極的に受けて立とう、その代わり大蔵省と財務省だけの新しい協議の場を設けようということになった。これが、いわゆる日米円ドル委員会である。
当初省内では、その担当課をどこにするかが問題となった。円ドル委での議題は、金融財政政策全般にわたることが予想されるので、従来は大臣官房が各局を取りまとめリードすることが普通であった。しかし、今回は、日米関係についての経験とノウハウが評価され、わが国際金融局調査課に白羽の矢が立ったのである。畠山課長(現(財)国際経済交流財団会長)と私は、もともとできるだけ仕事は取っていくというスタンスだったので願ってもないことだった。それから約半年間、文字通り寝食を忘れてこの仕事に取り組んだが、苦しくも充実したやりがいのある毎日だった。
この日米円ドル委員会は、ともすれば局あって省なしといわれる大蔵省の、大半の局長クラスがズラリと勢揃いしてアメリカ側と交渉するという、大蔵省にとっても画期的な出来事であった。従来、外圧などとは無関係であった部局も、直接米側の激しい追及に直面することになった。国際化が、大蔵省全体に実感されるようになったといえる。
交渉全体を振り返ってみれば、よく短期間にあそこまでの金融自由化措置をまとめあげたものだと感心する。各局それぞれが真剣に受け止め、努力してくれた結果である。
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