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1. 21世紀に入って6年目の年が明けた。大体、世紀当初の5,6年で、その世紀がどういう性格のものになるのか、ある程度、量られてくるものである。
20世紀の初頭は、アインシュタインの相対性理論とボルシェヴィキ革命によって幕を開けた。相対性理論は科学技術の発展の象徴である。他方、ボルシェヴィキ革命は共産主義という新しいイデオロギーを生み、その後の激しいイデオロギー対立の時代をもたらす端緒となった。この科学技術の発展とイデオロギー対立が20世紀を特徴づけるのだが、その結果、人類は幸福になっただろうか?決してそうではなかった。確かに、科学技術の発展で生活は多少便利になったかもしれないが、それは同時に、核兵器を含む大量破壊兵器を生むこととなった。これが、イデオロギーの対立と絡むことによって、二度の大戦を含めて、数々の大量殺戮を人類にもたらしたからである。1989年ベルリンの壁が崩壊することによって、イデオロギー対立が消滅する兆しを見せ、来るべき21世紀は、大量殺戮の無い平和な世紀となるのではないかと期待を抱かせたのだが、果たしてどうだろうか?
2. 21世紀初頭の5年を経て、この世紀を特徴づけるキーワードを、私なりに考えてみると、次の三つが挙げられる。「テロ」と「災害」と「IT」である。「テロ」とは、勿論911に始まる新しい戦争の形態である。「災害」は、地震、水害、津波などに代表される自然の怒りである。「IT」とは、インターネットを中心とする情報技術のことである。以下、それぞれについて、私の所感を述べてみたい。
3. (テロ)
イデオロギー対立の終焉によって、大量殺戮の無い平和な世紀が到来するのではという夢は、2002年の911によってもろくも崩れ去った。これからの戦争は、国同士の正規の戦いではなく、得体の知れない集団との無気味な戦いとなることが示された。かってクラウゼウィッツが、その「戦争論」の中で、「醜い戦争として忌むべきもの」とした非正統的な戦争形態が、「テロ」という形で正面に躍り出てきたのである。これは、非常に厄介な事態である。正規の戦争なら、それなりのルールがある。外交と言う政治の舞台もあるし、国際社会のプレシャーもある。しかし、「テロ」には、そういうものは一切ない。何しろ相手自体がはっきりしないのだから。アメリカは、「テロ撲滅」を叫んでイラク戦争を始めたが、果たしてイラクが本当に「テロ」戦争の相手なのか?
先日、BSドキュメンタリーで「サウジ王家とアメリカ」というのをやっていたが、サウジ王家が自分達の利益を守るためにアメリカの支援を求めてきた歴史をまとめていた。サウジ王家は、その豊富な石油による資金で急速に近代化を進めてきたが、王家の腐敗も目立ち、これを快く思わないイスラム原理主義者達との間で厳しい軋轢が生じていた。これに火に油を注ぐこととなったのが、イラクによるクウェート侵略がサウジに及びかねないことを憂慮して、湾岸戦争時以降、サウジ王家がアメリカ軍のサウジ駐留を認めたことである。オサマ・ビン・ラディンを中心とする激しい反米闘争が沸き起こった。反米闘争は、究極のところ反サウジ王家に向かうのであるから、王家としても、またまたアメリカと共同歩調を取らざるを得ないが、そうすると一般サウジ国民の感情が離反していくというジレンマに陥っている。オサマ・ビン・ラディンらの「テロ」の根本原因がこういうことにあるのだから、力だけで「テロ」を根絶することは不可能だろう。
「テロ」で悩んでいるのは、アメリカだけではない。ロシヤもチェチェンで、イギリスもアイルランドで、フランスはアルジェでといった具合に、世界中至るところで起こっているのである。我々は、新しい「テロに対する戦争論」を必要としている。それなくしては、21世紀を20世紀の大量殺戮の時代よりもマシだったとは、とても言えないことになるだろう。
4. (災害)
昨年の自然災害の多さは異常であった。11個もの台風が日本本土に上陸した。風水害が各地で起こった。新潟中越地震の被害も甚大だった。さらに暮れのスマトラ沖地震と津波による被害は想像を絶する。現時点で死者15万人を超えており、最終的にどれだけになるか計り知れない。ベトナム戦争の死者にも匹敵するのではないか?
こうした自然災害の頻発を見るにつけ、人類の環境破壊によって、地球に異常気象、異常事態をもたらしたのではないかという思いがつのってならない。地下資源を掘りまくり、これを燃やしてCO2やSO2を撒き散らし、オゾン層を破壊し、地球温暖化をもたらす。これで地球が怒らない訳がないのではないか。
21世紀の大きな課題は、人類がこの地球環境破壊をどれだけ早くストップさせることが出来るかである。その第一歩は、京都議定書の実行である。幸い、ロシヤの批准で、京都議定書は発効することとなったが、アメリカのブッシュ政権は、これを無視している。京都で会議をやった時は、いかにも自分達がリードしたかのような大きな顔をしていたくせに、政権が変わると、態度が一変するのは許しがたいものだ。また、中国初め新興国のより一層の協力が不可欠である。こうした不満は色々あるが、日本がまず手本を見せることが大事だろう。実効を上げるために、環境税をという議論も当然起こってこよう。
1970年代に環境問題が華々しく取り上げられるようになった頃、朝日新聞で「くたばれGNP」というキャンペーンが張られ、経済成長と環境規制は相容れないという主張が盛んになされたことがある。これに対し、私は当時大学生だったが、「そんなことはない。環境規制を強化した結果、これを達成するために技術革新が生まれ、経済全体の付加価値は高まるのだから、GNPはむしろ増えるはずだ。」と反論を雑誌に寄稿したことなどを思い出す。
人類の無限の欲望に対し、地球の存続に対する責任という高いレベルの価値観を発揮出来るか、我々は問われているのである。このことに失敗すれば、我々は、「戦争」よりも「災害」でより多くの生命を失うことになるかもしれない。
5. (IT)
昨年のプロ野球界を賑わせたのは、楽天、ソフトバンク、ライブドアといったIT業界の雄であった。既存の大手企業が尻込みする中で、IT業界だけが、プロ野球球団を買ってやろうというのだから、「世の中変わったなー」と世間の人々をうならせたのは間違いない。今や「IT」を制する者が、世を制するのである。
ITは、社会のあらゆる分野で活用されている。インターネットでどんな情報も手軽に手に入るし、Eメールでタダで交信出来る。車に乗れば、ナビでどこにでも簡単に行くことが出来る。株の取引も個人が直接出来るようになったし、設計やデザインも自由自在だ。企業の生産現場もすっかり変わったし、企業経営自体が変わってしまった。携帯電話さえあれば、買い物も、投資も、銀行取引も、ほとんど何でも出来る。ITを完全に駆使出来る者のみが、この世の成功者となっていくことだろう。
従って、これからの地域造りは、ITを自在に使いこなせる人材の供給を、大きな柱とすべきだろう。昔、「香港やシンガポールが港湾都市として何故栄えるのか?」ということをテーマにしたシンポジウムがニュウージーランドで開かれ、大蔵省を代表して参加したことがある。そこでの結論は、「ハードのインフラ整備は、どこでも真似出来ることで、大したことではない。最も大事なのは、人材と言うソフトの面である。」ということになった。つまり、香港もシンガポールも、英語やパソコンが自由に操れる事務員や、弁護士や会計士がたくさん居るということが決め手だというのである。私の地元では、北九州新空港が来年3月開港、東九州自動車道もそれに合わせて開通、港湾も13メートルの水深に整備中である。こういう地域が、今後発展していくためには、他の地域と差をつけるべく、ITに強い人材育成を早急に図るべきだと考える。日本のシンガポールとなるべきなのである。
6. ITは、しかし、良いことばかりではない。ITによって、人をコントロール出来るからである。一度ご紹介したと思うが、アメリカ政府は、911以降、世界中の人間をチェック出来る体制を構築しようとしているのである。既に、飛行機に乗ると、貴方の個人データは、アメリカ政府によってチェックされていると考えて間違いない。インターネットがアメリカを通過するシステムとなっており、貴方がどういう情報をやり取りしているかは監視されているだろう。メールも電話も、傍受されている可能性が高い。今や宇宙衛星で、貴方の居場所もチェックされるのだ。ナビで行き先が分かるということは、貴方の居場所も分かるということだ。
こういう監視社会・管理社会がどういうものになるのか見当がつかないが、無気味なものであることは確かだ。21世紀の人類に、IT社会のマイナスの面を減らすような叡智があるかどうか。人権やプライバシーを、我々は守りきれるのか、大きな課題である。
7 「テロ」と「災害」と「IT」という課題は、人類にとっては、なかなか重い荷物であるが、我々は、これを背負って生きていかなければならない。そのためには、相当強い精神力、思想力が必要である。改めて、自己を見つめ直し、こうした課題にどう取り組んでいくのか、じっくり考えていかなければならない。
一つだけ言えることは、これらが余りに非人間的なものなので、人類は、逆により人間的なものを欲するようになるのではないか。パソコンをつうじてではなく、直接の人と人との交わりを、もっと大切にせねばという気持ちになるのではないか。この点、昨年暮れのスマトラ沖地震と津波による災害に対して、全世界の人々が支援の輪を広げつつあることに注目したい。F1のシューマッハが5億円、松井秀喜選手が5千万円、ペ・ヨンジュンが3千万円と、競って支援を申し出ている。ブッシュ大統領が100万円というのは、ちょっとご愛嬌だが。各国のNPOも活躍している。各国は、また軍隊まで出している。日本も、自衛隊千人規模を出すこととなった。現地のインドネシアやスリランカは、ゲリラ活動の激しい地域だが、さすがにこうした救援活動を、邪魔する気配がない。こういう状況は、我々に何がしかの希望を与えるものである。人類が助け合うという崇高な行為には、テロもゲリラも入り込む隙がないのである。
人類全体のためにという高い価値観をもった生き方ができるかどうかが、21世紀のあり方を決定づけることになるのではないかと私は思う。
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