出直し宰相“世論を読み爪隠す 懲りた「一直線」改憲棚上げ“

2013年7月2日 中日新聞

 「あれっ」。浜部千秋(59)は、テレビを見て意外な感じがしたという。

 五月十四日の参院予算委員会。改憲の発議要件を緩和する憲法九六条改正への意欲をあらためて問われた首相安倍晉三(58)は「たとえ今、国民投票に付したところで否決される」と答えた。

 

 「九六条の改正を掲げて参院選で戦う」と答弁したのがわずか三週間前。世論の風向きが不利とみるや、自らの主張をあっさり引っ込めた。

 今は東京・中目黒の居酒屋で働く浜部。安倍とは成蹊大(東京)のアーチェリー部で、汗を流した仲間だった。「運動が苦手だった安倍は、つらい練習にもゼエゼエ言いながらついてきた。やると決めたらまっすぐな男だったのに…」

 六年前、二〇〇七年七日の参院選。当時、首相だった安倍は改憲に向けた国民投票法を成立させた勢いで、自民党の公約に新憲法制定を掲げた。ところが、自民は大敗し、そのニカ月後、安倍首相を辞めた。

 敗因に「お友達内閣」と揶揄された閣僚の相次ぐ失言や年金記録不備の問題などが挙げられたが、安倍自身の見方は違っていた。やはり大学時代の友人で、辞任後の安倍とたびたび会食した情報機器関連、岩通販売(東京)の常務、武藤正司(58)はこう証言する。

 

 「一直線に行きすぎたと反省していた。やり残したことはたくさんあるが、それをやり遂げるためには環境づくりが必要だと話していた」

 元首相岸信介を祖父に、元外相安倍晋太郎を父に持つ安倍。党幹事長、官房長官などの要職をとんとん拍子で務め、初めて首相に就いたのは五十二歳の時だった。が、育ちの良さゆえのひ弱さも。当時、官房副長官を務めた元大蔵省(現財務省)官僚の的場順三(78)は「周りを気にして、遠慮していた」と振り返る。

 その的場が、安倍から「初心に帰り、次の選挙で全国トップの得票率を目指す」と聞いたのは首相を辞めた直後。以来、安倍は毎週末、地元山口4区でのあいさつ回りを自らに課した。

 その二年後、民主党に政権を奪われた○九年衆院選。自民へ逆風が吹く中、安倍は得票率64・3%で当選、党内で三番目の高さだった。党総裁として政権奪還に成功した昨年末の衆院選は78・2%で、さらに率を上げた。

 

 「あれで一皮むけた。有権者の生の声を聞き、自信と使命感を深めた」と的場。

 昨年末、首相に返り咲いた、その安倍が政権発足後、真っ先に取り組んだのは改憲ではなく、経済。アベノミクス”生みの親”とされる元大蔵官僚の自民衆院議員、山本幸三(64)は「本人は『経済は得意じゃない』と言いながらデフレ脱却や金融緩和について猛勉強しだ」と振り返る。

 再び首相として挑む今回の参院選。政策の幅を広げた安倍は、持論の改憲さえあえて立たないようにする、したたかさと懐の深さを身につけたようにも見える。

 その安倍がまだ小学生時代、家庭教師として面倒を見た自民衆院議員の平沢勝栄(67)は「前回を反省し、プロセスは焦らず、じっくり慎重に、最後は結果を出すことだけを考えている。安倍さんの信念は変わっていない」と話す。

 その信念とは、改憲や日米同盟を柱とする国家戦略の構築。参院選で大勝した暁には、そうした具体策が政治日程に浮上するとの見方は少なくない。

 最近、山本は「アメリカで会った人が『参院選が終わったとたんに経済のことを忘れてしまうんじゃないか』と心配していたよ」とのメールを送った。安倍からの返信はまだない(文中敬称略)

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 「日本を取り戻す」をキャッチフレーズに掲げ、再登板した安倍首相。六年前、首相の座を追われる引き金となった因縁の参院選で、その政権運営や手腕が再び問われる。四日の参院選公示を前に、関係者の証言などから、出直しを期す宰相の”素顔”に迫った。