一層の緩和でデフレ打破!(2011.4.27) (日本経済新聞 経済教室)

転機の内外金融政策(中) 震災後の課題
一層の緩和でデフレ打破
欧米への追随は不要
消費税の大幅上げ避けよ

浜田宏一 エール大学教授
はまだ・こういち 36年生まれ。エール大博士。元内閣府経済社会総合研究所長


ポイント
・日本の生産は欧米以上に大幅な落ち込み
・需給ギャップ解消に日銀の買いオペ活用
・実質実効為替レートを円安にする政策を

 東日本大震災後の日本経済は、失われた供給力の回復を急いでいるが、それとともにデフレや円高に伴う需要不足に悩んでいる。初めに、このような需要不足がなぜ生じたのかをみておこう。
 リーマン・ショック前には、不良貸し出しが含まれていて実際には価値のないサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)を「金融工学の名の下に合成した証券に価値があると考えられていた。リーマン危機は、こうした証券に価値がないことがわかったため起きた。皆が富と思っていたものが、まるでシンデレラのカボチャの馬車のように突如消えてしまった。
 諸先進国の中央銀行は貨幣の増発、特に種々の資産を買い上げる「包括量的緩和」でこれに対処した。各中央銀行のバランスシートの大きさを見ると、その貨幣拡張の姿がわかる(グラフ1)。一方、それまで金融政策を緊縮的に行っていた日銀は、わが国ではサブプライム危機は起こらなかったと自慢した。そこまでは正しかったであろう。

 しかし、変動相場制下では一国の金融拡張は当国の為替レートを切り下げ、貿易相手国の為替レートを切り上げる。自国の金融拡張は通常、他国の景気を悪化させる。諸先進国のリーマン危機に対応した金融拡張により、円の実質実効為替レートは切り上げられ、輸出産業の競争条件のハードルを高くした。
 日本国内で金融危機は起きなかったが、世界の為替市場は直結しているので、諸先進国の金融拡張の衝撃が円の独歩高という形で日本を直撃した。日銀が金融を緩めれば防げたにもかかわらず、バランスシートの拡大をみても日銀の対応は不十分だった。その結果、日本の鉱工業生産はリーマン危機以降激減する。鉱工業生産変化率で測ると、日本はリーマン危機の中心地でなかったのに、危機の中心地であった英米より大きく生産が低下した(グラフ2)。実質実効為替レートのグラフは省略するが、興味ある読者は「伝説の教授に学べ!本当の経済学がわかる本」(浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代著)、を参照されたい。
 今も実質実効為替レートは円高で産業の足かせになり、鉱工業生産指数はリーマン危機前よりかなり落ち込んでいる。日本経済は潜在成長経路からかなり大幅な需給ギャップを抱えている。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの片岡剛士主任研究員は、こうしたギャップが20兆円程度に達すると説明している。
 震災は、主に不十分な金融緩和のために過去5年間続いてきた需要不足が解消しないところに襲ってきた。震災は、生産供給能力の低下による個別商品のボトルネックを通じて価格上昇圧力になる一方で、資金面では非常時に備えた貨幣需要や保険金支払い準備のための資金環流を通じて円建て資産の需要を増やす。阪神大震災後には1ドル=79円台の円高となったし、今回の震災後には過去最高値の同76円台を記録した。円高基調はなお続いているのである。
 しかも震災直後の市場統計指標、例えば百貨店売上高、外食、旅行の売り上げは大幅に減少し、需要不足のシグナルを発している。また新車販売台数は供給要員もあるが激減している。需要不足経済の基調も続いているのである。

 自民党の山本幸三衆議院議員は20兆円規模で復興のための国債を日銀に引き受けさせることを提案している。この提案は、今の日本の需給ギャップを約20兆円と見て、復興の財源を結果的にお札を刷って賄おうとするものである。
 同じことは、日銀が現存の政府国債を買いオペレーション(公開市場操作)することでも達成できる。つまり政府が利子を払わねばならない国債を発行せずに、無利子の貨幣で賄うわけだ。一石二鳥、まるで経済現象では普通許されないフリーランチ(ただ食い)を実現げきるように見える。普通そううまくいかないのは、貨幣供給の増加がインフレ傾向を助長し、国民の実質所得を減価させる事実上の課税となるからである。
 現在なぜこのフリーランチが可能なのかといえば、日銀の長年のいわばデフレ志向の金融政策の結果、買いオペの効果が極めて限られているからである。長い間国民がデフレに苦しんだ後なので、拡張政策がすぐには将来の物価上昇期待を生まない。金融政策の有効性をそぐという面では問題だが、国債負担を減らすには絶好の条件がそろっている。筆者も原則として山本議員の提案に賛成である。
 とはいえ、震災後の日本経済では個別商品の価格上昇が起きる可能性はまる。仮にそうなっても、個別価格の上昇が一般的な物価(生鮮食品を除くコア消費者物価指数=CPI)の上昇に結び付かないようにしなければならない。そのためには、なるべく早く、例えばコアCPI2~3%程度のインフレターゲットを設定して、デフレに対してだけでなくインフレへの歯止めも設けておけば安心である。
 今回の震災では、財政基盤の脆弱な政府が復興にあたるのが困難であることも示した。
前述の国債の日銀引き受けでデフレを打破できれば、国の財政状態も自然増収で一息つき、消費税の引き上げ幅を圧縮できるかもしれない。
 与野党の政治家が提唱するように、金融を一段と緩和しないまま消費税を引き上げるのは政策順序がまったく逆である。最悪の場合、税率と税収の間で逆U字型の関係となるラッファー曲線が働いて、消費税収そのものが減ってしまいかねない。そうでなくても税率上昇による経済活動の鈍化のために、所得税や法人税の減収が消費税の増収を帳消しにすることは、橋本龍太郎内閣のときのわずか2%の消費税上げでも経験した。それを今、時期を限って実施するのも、災害後の国民の苦しむ時期を選んで税負担をかけようとする時間順序のまったくの取り違えである。
 消費税を上げても景気を悪化させずに済み、しかも長期的には望ましい歳入歳出のバランスを回復しようとするには、国際通貨基金(IMF)が提言するように、消費税を毎年1%ずつ、例えば10年間上げていく政策を薦めたい。課税による効率の低下をまったく避けることはできないが、その影響は漸進的となる。慶応大学の深尾光洋教授が強調するような、将来の増税を避けようとする国民の消費の前倒し効果も期待できる。

 さて、今シリーズの問題意識は、各国が量的緩和第2弾(QE2)などの非伝統的な金融政策から正常化し、金利政策の活用を復活しようとする環境下で、復興問題を抱える日本の金融政策のあり方を考えようというものである。
 非伝統的な金融政策はゼロ金利という特別の環境下において必要となったものである。
 前述したように変動相場制の下では、米国の金融緩和は日本に景気収縮的な影響を及ぼす。仮に諸外国の金融包括緩和が一段落すれば、それに対応して日本も金融緩和姿勢を和らげてよいというのが、抽象的な答えとなろう。
 しかしデフレが継続し、円高が産業を苦しめていること自体、日銀や財務省の為替政策が優柔不断かつ量的に不十分であったことを、経済の体温計が示している。日本の金融緩和は不十分であり、諸外国に合わせて緩和にブレークをかける政策は震災後の日本経済に余分な負担をかける。変動制の下では協調介入に頼らなくても、欧米との金融緩和の程度の違いで円高は防ぎ得るのである。
 日銀と財務省が、実質実効為替レートをリーマン危機以前の状態(具体的には名目レートが1ドル=90~100円の水準)に近付けて、初めて日本経済復活の暁が見えるのではなかろうか。

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