日本の危局を救う資産デフレ脱却と不良債権の抜本処理

日本の危局を救う資産デフレ脱却と不良債権の抜本処理

 日本が危ない。

 このままでは全てが壊滅する。築き上げてきた歴史を失うだけでなく、未来をもつかみ得ない状況に追い込まれるのは必至だ。

 この危局を打破するのは政治しかない。

 政治家がいたずらに手をこまねき、評論家的言辞を弄する余裕は既にない。

 今こそ我々は、危局の本質を見抜き、これに果敢に挑戦していく政治的リーダーシップを確立しなければならない。

 日本危局の本質は、資産デフレと不良債権処理問題にある。これらを早急に解決できるかどうかに日本の将来がかかっている。

(資産デフレは悪の根源)

 資産デフレこそ日本経済低迷の根源であり、政府、企業、個人のあらゆる改革努力を無にする悪魔の如き存在である。

 資産デフレは、次のようにして景気失速をもたらす。

 まず、地価の持続的低下が土地担保価値を低下させ、銀行融資に大きく依存している中小企業等は、融資を受けることが著しく困難となる。これはまた、銀行にとっては不良債権の増加を意味する。不良債権の増加は、その償却のため自己資本を食いつぶすため、自己資本比率の低下をもたらす。銀行は、不良債権の償却財源として保有株式の益出しに大きく頼ってきたが、株安でこの手段が使えなくなれば、自己資本比率を引き上げるために、貸し出しを減らそうとする。その結果、企業の投資が減少しGDP成長率の低下をもたらす。それは、将来の日本経済の成長率や各企業の収益率を低下させ、土地と株式に対する需要が減少する。これは再び物価と株価の低下をもたらし、一層の投資の減少と成長率の低下をもたらす。

 また、株価下落は逆資産効果を通じて、停滞している消費の回復をますます難しくする。株式投資をしていない家計の消費も、年金や保険に対する将来不安が高まるため、抑制される。

 日銀は、最近の物価下落は技術革新や流通革命などによる「良い物価下落」であり、デフレとは言えないとしている。しかし、この「良い物価下落論」は、相対価格の変化と経済全体の平均価格との違いを理解しない誤った議論である。理由は何であれ、経済全体の平均的な物価が下落していけば、先行きデフレ期待が生まれ、期待実質金利が上昇、投資を抑制、経済の成長率が低下するという悪循環に陥る。今の日本経済のように資産デフレのワナに陥っている場合には、フローの経済変数だけを見て金融政策を運営することは不適切である。

(資産デフレ脱却には、安定物価目標付き量的金融緩和を)

 この資産デフレのワナから抜け出すためには、財政支出の拡大は有効ではない。財政支出の拡大は、景気循環の後退期に民間需要が自律的に回復するまでの間、需要不足を埋めるつなぎの役割しか果たすことができないからである。財政政策に頼った景気回復政策は、絶えず財政支出の拡大を強いられ、国債残高の累増をもたらす。今のところ、銀行が貸し出しを減らした分を国債購入に向けているため国債金利の上昇は起きていないが、既に家計は将来の増税を予想して消費を抑制していると思われる。

 物価の持続的下落という通常の意味でのデフレと資産デフレの下では、マネタリーベースの拡大によってマネーサプライを拡大させる量的金融緩和が唯一オーソドックスな政策である。

 政策の透明性を増し、説明責任を明確にするとともに、手段の独立性を保証し、インフレ期待を安定化させるためには、消費者物価を二~三%プラスにするという安定物価目標をはっきり宣言し、市場に大量のマネタリ―ベースを供給し続ける必要がある。

 このため、日銀の独立性を侵さないよう配慮した上で、安定物価目標を政策委員会の議決事項として位置付けるという内容の日銀法改正に踏み切ることが望ましい。

 日銀が二~三%の物価上昇が実現するまで徹底的に量的緩和を続けるということが市場に信認されれば、株価は上昇し、円安となり輸出を下支えしよう。

 量的金融緩和は企業の資金繰りを楽にするため、規制緩和や時価会計の手を緩めなければリストラは進むはずである。後述する不良債権の処理もやり易くなるはずである。徹底的な量的緩和は地価の下落にも歯止めをかけ、やがて緩やかな上昇をもたらすであろう。

 こうして資産デフレ状況が改善されるにつれて、総需要も増加し、やがてインフレ期待が生まれる。しかし、デフレ・ギャップが存在する間は、名目金利はインフレ期待ほどには上がらないため、期待実質金利は低下し、これは、投資を刺激する。名目金利の上昇は、生保や年金の逆ざや解消に役立ち、銀行の業務純益も増加するので、不良債権処理のスピードも上がるであろう。

(債権放棄で不良債権の抜本処理を)

銀行に不良債権があると、銀行の収益を圧迫する。預金あるいは機会費用というコスト負担があるにも拘わらず、金利収入が十分に得られないからである。また、償却により自己資本比率が下がる事態を避けるために、銀行は貸し出しを減らそうとし、その結果、金融システムが上手く機能しなくなる。

 他方、借り手(企業)の側から見れば、これは過剰債務の問題である。元々は、銀行の薦めに応じて借金で土地を買ったのだが、バブル崩壊で地価が暴落し、本業で儲けが出ても、これを全て借金返済に充てなければならず、新規投資を行うこともできず、徐々に体力を消耗していっているという状態だ。

 こうした状況が続く限り、銀行も企業も、衰退していくしかなく、日本経済の再生はあり得ない。そこで、これまでの失敗は失敗として認め、その上で、お互いゼロから再出発しようというのが不良債権の抜本処理である。言わば、経済活動におけるリセットを認めようということだ。

 大切なのは、銀行と借り手(企業)双方のバランス・シートから消してしまうということである。銀行の方だけ落としても、借り手(企業)の助けにならなければ、実体経済を救うことにならない。その意味で、単に不良債権をRCC(整理回収機構)に売却したり、部分直接償却という形で、銀行のバランス・シートから落としたとしても、企業からみて借入債務が残っている限りは、抜本処理とはならない。

 不良債権の抜本処理としては、法的整理か私的整理しかない。それぞれ、色々なバリエーションがありうるが、必ず債権放棄を伴う。よく私的整理における債権放棄は徳政令なので問題だと言われるが、法的整理に行けば、否応なく債権放棄を強いられる。同じ債権放棄をやらざるを得ないのなら、銀行の貸し手責任もあるのだから、できるだけ借り手(企業)を再建させる形でやった方がいいではないかというのが基本的な考え方である。その時のメルクマールは、本業が上手くいっている企業は救う価値があり、そうでない企業は早く整理した方がよいということだ。

 金融庁において不良債権の直接償却のための基準作りが行われる(た)が、最終的には、ケース・バイ・ケースで判断されるしかない。

 銀行の貸し手責任という点に関して言えば、中小企業の場合、社長の個人保証を取っている分については、直ちに債権放棄すべきではないか。欧米では、企業融資に際し、個人保証を要求するなどあり得ない。余りに銀行優位の融資慣行であり、このことが、リスクを取ろうとする企業家の再生(リセット)の芽を摘んでしまうからである。

 また、融資途中で、地価下落等が生じた場合、銀行は追加担保を要求するが、この分も、そもそも銀行の判断ミスに基づくものであり、直ちに債権放棄の対象とすべきではないか。

 いずれにしても、銀行は、基本的に債権放棄に消極的である。銀行からすれば、引当済みなら、地価回復を待つインセンティブが大きいからである。しかし、債権放棄、担保物権の処分がなければ、土地は市場に出てこない。土地が出てこなければ、証券化スキームがあっても無意味となり、地価の底入れもままならない。嫌がる銀行をいかに説得しうるか、金融庁の責任は極めて大きいと言えよう。

 なお、こうした債権放棄を行う際、株主の責任追及の立場から借り入れ企業は減資すべしとの主張があるが、この議論は的を得ているとは思われない。

 そもそも、株主の責任は株価に反映するという形でしか取りようがない。不良債権を多く抱えた企業の株価は暴落するという形で既存株主の利益を削いでいるはずである。その後、減資をしたとしても、減資前と減資後で、その企業の将来収益に差が出る訳ではなく、既存株主の利益に何らの差が生ずるものではない。これは、最新の企業金融理論であるMM理論(モジリアニ=ミラーの理論)の教えるところである。従って、形式的な手続論で時間ばかりかけるのでなく、一日も早く、債権放棄という形で、不良債権の抜本処理を進め、日本の金融セクターと企業部門の再生を図ることが肝要である。

 なお、こうした処理は当然デフレ要因となる。よって日銀の思い切った量的金融緩和によるデフレ脱却努力と、セイフティー・ネットとしての雇用対策(失業給付期間の延長や再訓練等)や再建途上企業に対するつなぎ融資(DIPファイナンス)などが必要となることは言うまでもないところである。

(以上)