第26話:国際交渉力 ~ゼロからの出発~

 

幸ちゃん物語 第26話 (大蔵省時代編)

国際交渉力

~ゼロからの出発~

 先に私は、大蔵省はもっと国際交渉力を磨く必要があると唱えたが、もう一つ、大蔵省の役人に望みたいことがある。それは、「ゼロからの出発を心がけよ」ということである。
大蔵省という役所は、予算を握っていることもあって、極めて大きな権限を有している。黙っていても、その権限の恩恵にあずかろうと人が寄ってくる。予算に典型的にみられるように、相手が言ってきたものを叩く、すなわち基本的に要求官庁ではなく査定官庁である。
その結果、何が起こるかというと、相手のミスはよく気が付くが、自ら新しいアイデア、政策をつくりあげるということが苦手となっている。
 私はこのことを、福岡の直税部長から戻って官房企画官となったときに、上司の長富審議官から聞かされなるほどと思った。
 長富審議官室では、当時、環太平洋連帯構想の仕上げにかかっており、私に、南太平洋島嶼国におけるネットワークづくりを任せるとのことだった。しかし、どこから手を付けていいものやら皆目見当がつかなかった。そのとき、長富審議官は、「大蔵省の役人は、ゼロから始めて失敗を恐れず突き進むことが苦手だ。まず、自分の足で歩いてみることだ。ネットワークは、フットワークなのだ」とアドバイスしてくださった。そこで、私は、南太平洋に関係のありそうなビジネスマンや学者を訪ねて歩いたのである。各国大使館にも出向いた。そうしているうちに人脈が広がっていき、それぞれの人の評価もだいたいわかるようになってきた。そして、若手の新進気鋭の学者を中心に、大蔵省認可の社団法人研究情報基金(FAIR)に南太平洋委員会を設け、勉強会を始めた。十二回の勉強会は非常に充実したものだった。現地調査に出かける頃には、南太平洋に関してはかなりのエキスパートになっていたと思う。
 そしてついに昨年(一九八七年)一月から二月にかけて、南太平洋島嶼国を中心に一〇カ国を歴訪し、念願のネットワークづくりを完成させることができた。大蔵省は、それまで世界中の著名な学者達とネットワークをつくり上げていたので、これでようやく全世界をだいたいカバーするヒューマン・ネットワークができあがったのだ。
 思えば、全くのゼロからの出発であったが、地道に足を運ぶことによって、一つずつ仕上がってきた。これは、誠に貴重な体験であった。
 長富審議官室にいた頃は、宮澤大蔵大臣の密命を受けて、民活プロジェクト推進策の検討という重要な仕事も行なった。各金融機関から、何かいいアイデアはないかとヒヤリングし、当方の勉強の成果と交えて取りまとめていった。長富審議官のモーレツぶりは省内外に有名であり、おかげで五月の連休もつぶされたほど。しかし、NTT株売却益を利用した無利子融資制度や銀行の転換社債の発行など、その後実を結んだものが多く有意義な仕事だった。
 これも、ゼロから出発して有を成すというものであった。
 かつて、通産省の役人というのは権限がないために、常に新しいアイデアを出していかなければ、そのレーゾン・データルを失うので、創造性のある面白い人間が多いという話を聞いたことがある。大蔵省も、そろそろ守りの姿勢から脱皮し、攻めの体制づくりを考えるべきときではないかと思う。
 大蔵省は、今、大変難しい問題に直面している。財政赤字解消のための行財政改革、高齢化社会に対応した施策、税制の大改革、金融自由化のいっそうの促進、為替レートの安定、海外援助の拡充等々、枚挙にいとまがない。これらの課題に取り組むためには、シュンペーターが言う「創造的な革新、革新的な創造」が必要である。これからの大蔵官僚は、これまでのように既存の権限の上に安住することなく、信念をもって次から次へと起こってくる困難に対して、敢然と立ち向かっていく気概をもってもらいたいものだと思う。
私は思うところがあって政治の世界に転身するが、国づくり、郷土づくりに官僚の方々の力は欠かせない。
 私も今ゼロから出発し、政治家の道を歩んでいく。大変お世話になった私の同僚、後輩諸氏も、ゼロから出発する気概をもって、二十一世紀の日本づくりに取り組んでもらいたいものだ。手をたずさえて一緒に頑張ろうではないか。