第20話:武勇伝 ~忍者芸でビック・ワイドを創設~

 

幸ちゃん物語 第20話 (大蔵省時代編)

武勇伝

~忍者芸でビッグ・ワイドを創設~

 東京サミットが無事終わって私は銀行局銀行課に移った。それまでも、自分勝手に金融問題のエキスパートを任じていたので、このポストは願ってもないものだった。私は内心おおいに燃えていた。しかし、いざ着任してみて、その権限のおおきさに驚いた。何しろ、信託銀行、長期信用銀行、外為専門銀行、外国銀行に関するすべての業務および都市銀行を含む全銀行の海外業務が、私の一存に大きく左右されるのである。そもそも銀行行政は、時代とともに変遷するという性格上、個々のケースの積み重ねであり、そのときどきの担当者の考え方、判断が大きな比重を占める。
 逆に言えば、きちんとした銀行行政、金融行政についての哲学をもっていないと、一貫性に欠け、単なる陳情処理の毎日に終わりかねない。この点私は、もともと金融自由化の積極推進論者だったので、このポストにいる間に、何とか従来の硬直した金融秩序に風穴を開けることはできないものか、といつも考え続けていた。
 銀行課時代の二年間は、銀行行政が大揺れに揺れた時期である。
 まず、銀行法の五〇年振りの大改正という難関があり、さらに、国際化と金融自由化の波が本格的に押し寄せてきた。
 銀行に関する基本法である銀行法改正は、証券業務の取り扱いを巡って大蔵省と銀行界が対立し、さらには自民党まで巻き込んで大変な騒ぎになった。しかし、米里局長(元日本証券投資顧問業協会会長)以下銀行局内の結束は固く、官房をはじめ省全体でこれを応援する体制であったため、さしもの自民党や銀行界も最終的には折れ、大蔵省の方針を受け入れることとなった。
 今振り返ってみると、まさにあの時期に銀行法改正をやっておかなければ、その後の状況の移り変わりの激しさからして、行政当局としてうまく対応できず、大変なことになったのではないかという気がする。銀行法改正に際しては、さまざまなドラマが生まれたが、当時の仲間が年に一度米里局長を囲んで集まり、その思い出に浸る習わしになっている。
 この銀行法改正を契機にわが国の金融行政は、金融自由化の方向へ大きく歩み出していくことになるが、その背景には二つの要因がある。
 ひとつは、中成長への移行とその過渡期における国債の大量発行である。わが国の財政は、第一次石油危機を契機とする経済の停滞により、昭和五〇年度以降、租税収入の水準が落ち込み、その後も税収は伸びていない。それにもかかわらず、歳出面では国民生活の安定と景気回復を図るための財政需要は大きく、財政収支は巨額の赤字に陥った。五十年度以後毎年、国債の発行額が連続して増加、とりわけ五四年度には予算における国債依存度三四・七%という極めて異常な事態となっていたのであった・
 この大量の国債を市中消化するために、どうしても国債の応募者利回りの自由化と国債の種類の多様化が必要となってくる。そしてこれは、必然的にそのほかの金利の自由化を求めていく。
 二つ目に、円の国際化が金利の自由化を促した。円の国際化の原動力は、日本の貿易と海外投資の拡大である。これに伴う資金取引が頻繁に海外との間で行われるが、海外市場では金利は自由である。こうしたなかで、金利自由なユーロ円市場も発達してき、日本の金利自由化も時間の問題となってきた。
 このように、客観情勢が整ってきたからといって、金利自由化は一気に進まない。現実は、個別利害が絡み合った伏魔殿のようなものだから、その扉を一つひとつ開いていくという作業を進めなければならない。そこが、理論だけを言って事足りる学者や評論家と行政官の違うところだ。行政官は、学者を含めいろいろな人が言うことを聞いて、それでは、具体的にどこから手を付けたらよいのかを考え、さらにそれを実行できなければならない。
 金融自由化というのは、要するに、新しい金融商品を創設するということである。私は、自分の所管する信託銀行、長期信用銀行の分野で何かできないものかと、各業界の担当者とひそかに相談を続けた。
 昭和五五年の一月に、証券界が、中期国債ファンドを始めた。アメリカのMMF(オープン投資信託の一種)を真似たものだが、大蔵省がもっとも弱い国債消化という大義名分があり、銀行局も抗し切れなかった。
 三月には、いわゆるグリーン・カード制に関する法律が公布された(しかし、これは、後に施行されることなく撤回される)。このグリーン・カード制導入の影響からか、大量の資金が銀行預金から郵便貯金や有価証券に移行するという状況が発生したのである。
 これにはさすがに、銀行界もあわてた。何とか失地回復をということで出てきたのが、期日指定定期預金である。これは、これは、あらかじめ期日指定しておけば、最高三年まで、二年物定期預金の金利で複利計算した金利が、満期に支払われるというもの。また、元本預入方式なので、元本がマル優枠三〇〇円までまるまる使えるというメリットがある。
 金融界というのは、ある業界が少しでも優れた商品を出そうとすると、寄ってたかってつぶしてしまうという体質をもっている。それだけに、こうした新商品の開発というのは難しい。だが、この期日指定については、やむを得ないという空気があって、行政当局としては前向きに認めようということになった。この普通銀行の案件は、同じ銀行課の筆頭課長補佐である鏡味さんの担当であった。
 いよいよ、大臣室まで上げるペーパー作成という段になって、私は鏡味さんにお願いして、最後に一項目、「信託銀行および長期信用銀行も、同様に元本預入方式、収益満期受取型で複利運用する新商品を開発することとしている」との趣旨を付け加えてもらった。こうして、都銀などの期日指定に対応するものとして、信託、長信銀の新商品の開発についての原則的了解を得たのである。
 まず、道をつくった。次の問題は、具体的商品設計である。長信銀の場合は、解約手数料の問題だけで比較的簡単だったが、信託銀行の場合はそうもいかない。
 そもそも、信託の商品は相当複雑であり、素人にはなかなかわかりにくい。貸付信託は一万円単位、金銭信託は五〇〇〇円単位なので、例えば、貸付信託をもっていて収益を再投資する場合、収益はまず普通預金に入れ五〇〇〇円を超えると金銭信託にしてという具合に運用していく。それに、半年毎に利回り変更をしていくので、その複雑さといったらなかった。
 最大のポイントは、複利運用する場合の金利としては何を使うかであった。信託業界は理論的には、貸付信託の利率がいちばんスッキリしているが、それでは他業態の反対が強すぎるだろう。金銭信託の利率でどうだろうか、という意見であった。私は自分なりにじっくり検討したところ、金銭信託の利率では過去の商品の考え方とあまり変わらない。貸付信託自体の利率で複利運用するのでなければ、革新的な商品とはいえないとの結論に達した。
 こうした新商品の開発は事前に情報が漏れると、反対勢力が猛烈に動き出しつぶされかねない。そこで、信託業界には時期がくるまでは、秘密厳守することを強くお願いした。こうして深く潜行して、関係方面への根回しを進めた。私自身、最後の最後まで信託業界に対して、貸付信託の利率でいくのか、金銭信託の利率でいくのかを明らかにしなかった。
 そして、これはいけると判断した日、信託各行の業務部長の方々に電話し、貸付信託の利率でいくが、コスト上大丈夫か、と聞いた。各行とも、大丈夫だ、ぜひそれで頼むとの反応であった。そこで、一気に決裁を採り、新商品をつくり上げた。これが、愛称”ビッグ”と呼ばれるものである。
 ビッグは、発売以来爆発的な人気を博した。これは、マル優枠三〇〇万円まるまる使えるということ、貸付信託の利率で複利運用される高利回りの商品であること、さらに原理が簡単でわかりやすく、また、信託銀行にとっても、その管理が容易で経営合理化に資する、という一石三鳥の商品となった。
 しばらくして、長期信用銀行のワイドも発売された。こうして、金融自由化というものが、実際の商品の形で世の中に示されていくことになった。
 その後の自由化の進展は著しく、今や各種の新商品が溢れているが、ビッグとワイドは、その先鞭を付けることになったと、ひそかに自負している。