第14話:ユニークな人事 ~弱冠二七歳の税務署長~

 

幸ちゃん物語 第14話 (大蔵省時代編)

ユニークな人事

~弱冠二七歳の税務署長~

 コーネル大留学から帰って、再び大蔵省の役人生活に戻った。現実の生活に引き戻され毎日忙殺されるなかで、仕事の面白さにのめりこんでいった。
その翌年のこと、私は山口県の岩国税務署長に発令された。
弱冠二七歳のときのこと。
これは、大蔵省独自のユニークな人事教育システムで、国家公務員上級試験を甲種でパスして本省採用となった、俗に、”キャリア”と呼ばれる幹部候補生に、組織の長、責任者としての訓練をつませようというものである。

 初めての経験である。赴任に先立って、先輩方の話を聞きに行った。すると、仕事は、部下に任せてなるべくするな。よくわからん若輩所長があれこれ言うと、現場はたまったものではない。その代わり、外部の人たちとはよく付き合いたまえ。日本経済を実際に動かしている人たちの話を、じっくり聞いて来い、とのアドバイスをもらった。

 任地の山口県岩国は、広島県との県境にある。かの万葉集に、
「周防なるいわくに山を越えん日は、手向けよくせよ 荒きその道」
と歌われているように、その昔は山道の険しさで有名であったようだ。
しかしながら。山陽道の要所として、わが国の歴史の節目節目で極めて重要な役割を果たしてきた土地である。街中をぬって中国山脈から発した錦川が静かに流れており、その透き通った水面を眺めていると、人の世のはかなさと、それを無視して移り行く歴史の悠久といったものが感じられた。

 この錦川に、かの有名な錦帯橋がかかっている。岩国藩第三代藩主の吉川広嘉が創案したというこの橋は、原型は釘などの金具は一切使わず、いざ敵が攻めてきたときに杭を一本はずせば、一挙に橋全体が崩れ落ちるようになっていたという。五つあるアーチは、周辺の景色とみごとに調和して、桜の季節といい、冬の雪景色といい、一種独特の雰囲気がある。
 この錦帯橋を眺める絶好の位置に、岩国国際観光ホテルがある。ここの経営者の深川ご夫妻には大変お世話になった。会合がないときでも、露天風呂に入れてもらったりした。また、女性実業家の安藤佐和子さんにも、たいへん親切にしていただいた。事業経営のあり方、人との付き合い方など、安藤さんから教えていただいたことは、広範多岐にわたる。
家内も、安藤さんの大ファン。
今でも夏になると、私をそっちのけで自分と子ども達だけで岩国にでかけてしまう。安藤さんのご一家と、岩国の花火大会を楽しむのが年中行事となっているのだ。

 このほか、岩国でお世話になった方々の数はかぎりがない。とくに法人会の役員の方々とは、忘れられない思い出がある。

 私の着任後の第一、最大の仕事は、岩国の法人会を社団化することだった。社団化とは、一つの任意団体に法的裏付けを与え、対外的にも一人前の団体として認めさせようということである。法人会の場合、大蔵大臣が認可しなければ社団化できない。

 この社団化には、二つの条件が必要とされた。
第一に、会員数が管内全法人の過半数を占めていること。第二に、最低500万円の基本財産があること、である。
 このうち第一の条件は、前任者の斉藤先輩が努力され満たされていたので、私の仕事は、第二条件の金集めであった。しかし、この金集めというのは、言うは易く行うは難しで、一筋縄でいくものではない。

 法人会幹部の間で何度か協議を々、まず大工場から回ろうということになった。岩国には、三井石化、興亜石油などの大コンビナートがあり、岩国経済は、これらの工場に大きく依存していた。そこで、まずこれらの企業からお願いに回ることにしたのだ。

 ところで、税務署を指揮・監督する広島国税局の通達によると、
「所長は、直接資金募集を行ってはならない」
とあるのだ。しかし、法人会の人たちは、
「自分たちは下請けで、どうしても迫力に欠ける。ぜひとも、所長に出馬してもらわなければ困る」
と私に訴える。私はどうしたものかと思案した。
しかし考えても始まるものではない。
「ええい、きれいごとばかり言っても金が集まるわけではない。社団化には、大きな社会的意義がある。ここは自分が、先頭に立って頑張らなくては皆もやる気が出まい。局からしかられたら、そのときのことだ」
と覚悟を決めた。

 腹を決めたら、後は行動あるのみ。それからは、法人会の皆さんと一緒にお金集めに奔走した。最初は、誰もがお手並み拝見という感じだった。ところが一所懸命やっているこちらの熱意が伝わったのか、徐々にムードが盛り上がってきた。とうとう三ヶ月もしないで、500万の金を集めてしまったのだ。幹部の喜びがひとしおだったのはいうまでもない。