第15話:ユニークな人事 ~日本経済の担い手は中小企業~

 

幸ちゃん物語 第15話 (大蔵省時代編)

ユニークな人事

~日本経済の担い手は中小企業~

 このように、所長の衣を脱ぎ捨て、皆と一緒に汗をかいたおかげで、多くの人たちとすっかり仲良くなった。
一つの目標に向かって力を合わせ、それを実現した喜びは大きい。
われわれは同胞意識で結ばれたのである。親しく付き合ってみて、よくよく一人一人の顔を眺めると、実にいい顔をしている。汗まみれ日に焼けて、皆真っ黒い顔をしている。しかし、その皺の一本一本に永年の経験から出た人生智といったものが刻まれ、誠に味わい深い。

 私はいつも思うのだが、アメリカ人と日本人とを比べて決定的に違うのは、お年寄りの顔である。
アメリカ人のお年寄りで、味わい深い顔をしている人は極めて少ない。
それに対して日本人は、おおむね皆年輪が刻まれた顔をしている。
これは、一つには、日本人の場合できるだけ耐えようとするからではないか。
サラリーマン社会で上司と合わなくとも、日本人はじっと耐えるのに対し、アメリカ人は嫌ならさっさとやめてしまう。
夫婦の間でも、アメリカでは気に入らなくなればさっさと別れてしまうのに対し、日本人の場合できるだけ耐えて和を取り戻していこうとするからではないかと思う。

 私が親しくなった方々のほとんどは、中小企業の経営者である。

これらの方々から、興味深い話しをいろいろうかがった。私にとっては貴重な話しで、その後の仕事の仕事にも少なからぬ影響を与えた。
話しの内容は多岐にわたっていたが、下請けの中小企業として工事受注のため、社長が全国を飛び回って苦労していること。
中小企業では組合などつくられたら、たちまち倒産してしまうといったこと。
従業員にやる気を起こさせるために、毎朝、軍艦マーチを流して朝礼をやること。
後継者育成に苦労していること。
交際費が、免税枠をすぐに超えてしまうこと。その他諸々のことを聞かせてもらった。

 そのなかで面白かったのは、今日成功している企業というのは、かつて一度は税務署の手入れを受けたことがあるという話だった。
事業を始めてうまくいっても、当初はドンブリ勘定のことが多い。出来れば税金なんか納めたくない。そこで隠すようになる。しかし、これはいずれバレるものなのだ。税務署から呼び出されこっぴどくたたかれる。そこで、初めて、経理をキチンとしなければいけないということに気づくわけである。

 裏金をつくったとしても、表に出せないのでまともな用途に当てられない。税務署に見破られ、しかるべき税金を払ってやっと表で使えるようになる。そうなって初めてホッとする。
そのうち、企業が成長するにつれて、社会的信用も生まれ、そういった責任が重くなり変なことはできなくなる。
会社の経理をごまかして裏金の隠し場所がみつかりはしないかといつもドキドキするよりは、優良申告法人として税務署の所長と堂々と付き合うほうが、どれだけ気持ちのいいものか。
そういった体験談を何人かの方々から聞かされ私もうれしかった。

 しかも、これらの中小企業経営者は、例外なしに個性的で魅力的だ。
私は、日本経済の裾野を支えているのは、こういう中小企業の経営者なのだなと、実感をもって悟った。
本省にいると、大銀行、大企業の重役、部長クラスの人たちがたくさんやってくる。
ともすれば、こういう大企業の人間が日本経済をうごかしているのだなと錯覚してしまう。しかし、事実はそうではない。
従業員のため、家族のため、家族のために命を張って努力している中小企業の経営者達こそが、日本経済を動かしているのだ。
二七歳で税務署長として赴任して、目からウロコが落ちる思いだった。

 そして、大蔵省がなぜ多大な犠牲を払ってまで、若い幹部候補生を地方の税務署署長に送りこむのか、その意味がよくわかった。
 「お前達、本省にいて、大企業の連中とばかり付き合って誤解するなよ。地方の中小企業の経営者こそが、日本経済の真の担い手なのだ。彼らの声を直によく聞き、その後の行政に反映できるようにしろよ」
と、この経験をしてからは後輩に向かっていつも私はこういい続けている。

 税務行政については、その後福岡国税局の直税部長としても携わっている。局の部長となると各税務署の施策を、指揮・監督するという仕事が中心だが、この岩国の所長のときの教訓を忘れず、なるべくたくさんの企業経営者の話を聞くように努めた。
中小企業こそは、日本経済の土台だという信念は、その後も微動だにしていない。それどころか、ますます強固になってきている。

 また、岩国では、予算獲得に絡む思い出もある。年末の忘年会でのことだ。
同席した河上市長が、浮かない顔をしている。
そこで、理由を尋ねたところ、
「当市の重点要望事項である基地の沖合移設のための調査費と特定農産物卸売市場の指定が、大蔵省原案で、ゼロ査定とされたんですよ」
とのことであった。そこで私は
「何かお手伝いできるかもしれないので、詳しい話を聞かせてください」
と言って、市の担当者に来てもらうことにした。
 翌日は、税務署長室が、予算獲得対策室になった感じで、市の担当者は熱心に陳情を続ける。私はその熱意に打たれた。
そこで、何とかできないかと、岳父の村山達雄に頼み込んだ。
村山は、ただちに主計局に話を通してくれ、この二件は要望どおり復活した。市長をはじめ関係者の喜びようはなかった。
私も、少しでも縁のある地域のお役に立てたことが、とてもうれしかった。