第6話:行橋時代と上京 ~貴重なアメリカでの体験~

 

幸ちゃん物語 第6話 (青春時代編)

行橋時代と上京

~貴重なアメリカでの体験~

 私は高校時代、小田実の「何でも見てやろう」という本を読んでひどく感動した。
そして、絶対にアメリカに行きたいと思っていたのである。
母親もなかなかさばけたところがあって、外国の出来事に関心ももっていて、将来は海外特派員になったらいいなどと言っていた。 

 大学に入ってからは、早く英会話をマスターしようとESSに所属した。
結構熱心に活動し、二年生のときには部長を務めたりした。この二年の夏休みに、国際生活体験委員会が、青年使節を募集していた。当時アメリカ旅行をする場合、数十万円かかるのだが、試験に受かれば青年使節として十万円程度の二ヶ月アメリカ生活が体験できるのである。これを早速受けパスし、念願のアメリカ旅行が実現した。

 アメリカでは、まずワシントンとニューヨークでボランティアの人々の世話になった。そして一人で列車に乗りデラウェア州ウィルミントンへ向かった。ここは、デュポンの本社があるところである。現地のロータリークラブが、私を受け入れてくれることになっていた。

 駅に着くと、小柄で快活な人物の出迎えを受けた。この人こそ、その後私の大切な友となるジェフリー・ハサウェイ氏だった。
彼は獣医で熱心なロータリアンであり、交換学生受け入れの責任者であった。
彼は毎夏に命の外国人学生を受け入れる。それぞれ二週間ずつは自分の家で面倒をみ、残りはほかのクラブメンバーに割り振るのである。

 当時はジョンソン大統領の”偉大な社会”の時代、ベトナム戦争中とはいえまだアメリカには余裕があった。見るものも聞くものすべて途方もなく豊かに感じた。そして、一人一台車を所有していることが信じられなかった。

 なかでも関心したのは、彼らの奉仕精神だった。
ある家では奥さんが、週に3回身体障害者の家へ行きリハビリを手伝っていた。
まったくのボランティアである。ニューヨークやワシントンでお世話になった人たちといい、アメリカ人のヒューマニズムには脱帽する。

 ジェフとは、よくベトナム戦争について議論した。ジェフはコチコチの共和党支持者でニクソンの大ファンであったが、ベトナム戦争については現政権の方針が正しいと主張。

私が、アメリカは民族自決の原則を尊重しベトナムから手を引いたほうがいい、と言っても頑として譲らなかった。このジェフとの議論で、毎夜激しく論争してもそれは対象とする争点についてだけで、お互いの人間関係が傷つくわけではないという、アメリカ式論争のあり方を学んだ。

 帰国の際の終結地はサンフランシスコ。私はバスでアメリカ大陸を横断することにした。途中シカゴとモルモン教の本山・ソールト・レーク・シティに立ち寄った。寝るのはいつもバスのなかという三泊四日の強行軍だったが、若さゆえかまったく平気であった。

何しろアメリカは広い。そして驚くほど多様である。トウモロコシ畑しか見えない日が丸二日続くかと思うと、突然ロッキー山脈が目の前に現れる。
また砂漠のような荒涼とした風景が何日も続くことがある。
東部では小柄でキュートな女性が好まれるが、西部ではロディオで子牛をひねるぐらいの女でないと魅力がない。
アメリカ人と十把一からげに言うことなどそもそも不可能なのだ。この旅は非常に貴重な体験となった。