政策レポート

福井日銀総裁の総括(2008.2.12)

 

福井日銀総裁の総括  
  2008.2.12 衆議院議員  山本幸三

1 福井日銀総裁の任期もあと一月余りとなってきた。後任人事が喧しいが、それは抜きにして福井総裁の仕事振りをきちんと評価、総括しておく必要があるのではないかと思う。そのことが次期日銀総裁に何を望むかという要請に繋がることになるはずである。実は、自民党金融政策小委員会として「次期日銀総裁に期待する!」との緊急アピール(案)を準備したのだが、大野金融問題調査会長と相談したところ、総裁人事が絡む微妙な時期だから政調会長の判断を仰ごうということになった。谷垣政調会長は、「人事に介入するようなことは不味いので、人事が決着したら出そう。」ということになったものである。この総括は、そうしたアピール(案)のベースになるものである。

2 福井氏は2003年3月20日に国会承認を得て正式に日銀総裁に就任した訳だが、その2日前内定中に衆議院財務金融委員会に出席し参考人として質疑に応じている。ここで私は質問に立ち、福井氏が何をやるべきかについて問い質した。私は、まず速水前総裁が2000年8月のゼロ金利解除のような間違った政策を採りながら結果責任を一切取らないことをどう考えるのかということから始め、「あなたは、デフレ克服というのがきちんとできなかったらちゃんと責任をとるということをはっきり言明されるんですか。」と問い詰めた。これに対し福井氏は、「あらゆる厳しい条件を前提にして、その中で最高の経済のパフォーマンスを実現していく、そういう点では責任をとって対処いたします。」と結果責任をとると明言している。  
 その具体策として私は「インフレターゲット政策」の採用を提案したが、福井氏は「いつの日か、本当に、先生のおっしゃるようなインフレターゲットを、結果責任を負える形で持っていけるようなところになりたいと個人的には思っておりますが、・・・」とかなり前向きな答弁をしていたのである。

3 福井日銀総裁の就任直前のこのやり取りからみて、この5年間の金融政策運営の総括を行うと、明らかにバッテンである。あれだけ「本当に命がけで取り組む。」と約束したデフレ克服が依然なされていないからである。コアCPI(消費者物価指数)は原油価格高騰の影響で昨年10月から0.1%,0.4%,0.8%と上がり始めているが、景気が後退局面にあることからこれは悪い物価上昇の典型で長続きはしない。消費税が上がった時と一緒である。デフレかどうか判断する別の指標、コアコアCPI(生鮮食品とエネルギー関連を除いたもの。)やGDPデフレーターは依然としてマイナスである。  
 福井総裁は、日銀総裁としての最大の課題であるデフレ克服に5年もかけながら失敗したのである。日銀総裁として前任の速水氏と同じく失格と言わざるを得ない。いい加減にデフレ克服を実現する総裁が誕生してもらいたいものだ。

4 結果的には失格だが、全ての期間が駄目だった訳ではないということは付言しておかなければなるまい。2003年3月の就任後3年間は評価すべきだろう。思い切った量的金融緩和を行い、デフレ脱却の芽が芽生えるかに見えたからである。そして2006年3月に量的金融緩和の解除を行う。この時点でコアCPIは3ヶ月程プラスに転じていたので、この政策転換はまあ首肯出来るものであった。実は、この政策転換の直前1月末に私は内々で日銀の氷川寮で福井総裁と会った。この席で私は「量的緩和解除は止むを得ないが、物価安定の定義を数字を示してはっきりさせるべきだ。」と強調した。これが3月の解除時の「物価安定の目安」に結びつくのである。一番のうるさ型の私が条件付で解除を容認したのだから、福井総裁が「これはいける。」と判断したのは間違いない。  
 この件で苦々しく思い出すのは、この会談の後2月に福井総裁が村上ファンドの投資ファンドを売りに出したことが後に明らかになったことだ。村上ファンドの問題が飛び出した時、私は総裁は当然保有し続けているものとばかり思っていた。しかし、総裁はちゃっかり売り抜けていたのである。しかも、自身がリード出来る政策変更の直前にである。金融を引き締めれば株は値下がりすることは常識だからそのことを自分だけ知っていて売り抜けるとは、これをインサイダー取引と言わずして何をインサイダー取引と言うのだろうか。中央銀行総裁として歴史に残る汚点だろう。今でも地元に帰ると、中高年のおばさん達から「福井さんて、どうしてあの時止めなかったの。粘り勝ちしておかしいわよね。」という話が出るくらいだから、あの事件が政府・日銀に対する信頼を大きく損ねたことは間違いない。

5 2006年3月の量的金融緩和解除は容認出来るとしても、その後の2回の金利引上げは頂けなかった。量的緩和解除から福井総裁は人が変ったみたいになり、金利引上げを急ぎ始める。同年7月にゼロ金利解除ということで、政策金利を0.25%引き上げた。私はこの時翌8月にはCPIの5年毎に行われる基準改定があるのでそこまで待つべきだと強く主張したのだが、全く無視された。結果はどうだったか。せいぜい0.3%の改定だろうと読んでいた日銀の思惑は完全に外れ、最大0.6%という大幅改定がなされたのである。その結果4月にはマイナスであったことなどが判明し、7月のゼロ金利解除が時期尚早であったことが明らかとなった。そして、その後のコアCPIはマイナス領域に逆戻りするのである。  
 福井総裁はそれでも懲りず、2007年2月にはさらに0.25%引上げ0.5%にする。この時コアCPIはマイナスであり、金利を引き上げる根拠に欠けていた。福井総裁の説明は、「GDPギャップがプラスであるから、将来必ず景気は回復し消費が伸びコアCPIもプラスに転じるはずだ。」と「当るも八卦、当らぬも八卦」という類の域を出ない心もとないものだった。この時は、丁度村上ファンドの問題が取り上げられた時期だったので、意地でやったとしか考えられない。個人の意地で国民生活を左右する政策決定がなされるなんて誠に困ったことだ。結果的にこの利上げは大失敗だったことが明らかだ。この時点で既に問題に成り出していた米国のサブプライム・ローンの問題や、原油価格高騰、その後の建築基準法改正の影響などによって、2007年度の実質成長率が潜在成長率を下回ることがはっきりしてきたからだ。
 この間、福井総裁や一部の審議委員は「金融正常化のために金利引上げを続ける。」と繰り返し述べていたのである。そのことが、中小企業や消費者のマインドをどれだけ冷やしてきたか高給取りの日銀幹部には到底分からないのである。  
 福井総裁は経済の下ぶれリスクをいつも過小評価していた。例えば昨年3月には、「サブプライム・ローン問題は、米国経済を揺るがすものにはならない。」と大見得を切っていたのである。また、今日に至っても「日本経済の生産、所得、消費の好循環メカニズムは維持されており、緩やかな景気回復が続く蓋然性が高い。」などと呑気な言を繰り返しているのである。福井総裁は任期途中で明らかにおかしくなった、特に村上ファンド問題以降人が変わってしまったと私はみるのだが、どんなものであろうか。

6 福井総裁が言う「好循環メカニズム」がいかにデタラメナものであるかは、前回の私の予算委員会での質問で十分明らかになったと思うのでここでは繰り返さないが、最早福井氏に日本経済のかじ取り役を望むべくも無い。早く退任願うのが最善の途である。  
 問題は、後任者がこの福井総裁の失敗を見据えて思い切った方向転換に踏み切ることが出来るかである。日本経済には暗雲が立ち込み出している。経済は落ち込み始め、デフレからの脱却も遠のきそうである。今度こそ平成の高橋是清が再現しうるかどうか、祈るような気持ちである。それが出来なければ、日本は、本当に二流国に転落してしまうであろう。

(以上)