バーナンキ氏と山本幸三と「インフレ・ターゲット」(ロイター通信)(2005.10.25)

ロイター通信、インタビューより(平成17年10月25日)

バーナンキ氏と山本幸三と「インフレ・ターゲット」

もし、新たに任命された米連邦準備制度理事会議長が自論であるインフレ・ターゲットをいずれ導入すると、日銀のみが金融政策を推進する上で公開した数字尺度を用いない世界唯一の中央銀行であると気づくことになるではないだろうか。

月曜日にインフレターゲットの推進者であるベン・バーナンキ氏が、次の連邦準備制度理事会議長に任命されたことから、こうした見通しが拡大し、日本のポスト・デフレ時代の日銀の政策に少なからず影響するだろう。

確かに、専門家たちはバーナンキ氏が、直ちにインフレターゲットを導入するとは思っていないし、日銀も、7年間のデフレから抜け出すための緊急金融緩和措置を見限るには、まだまだ時間がかかろう。

しかし、長期には、日銀は、イングランド銀行やオーストラリア準備銀行、そしてある程度は欧州中央銀行のようなカウンターパートが、享受してきた利益と折り合いをつける可能性が高いかもしれないと、専門家は分析する。

「現時点では、日銀はおそらくインフレ・ターゲットに反対するだろう。しかし、それは将来の有力な選択肢であると、日銀は、考えているであろう。」とかつて日銀職員であり、東京JPモルガンセキュリティー社のチーフエコノミストの菅野まさき氏は語った。

「過去数年間にわたって行われたインフレ・ターゲットについての議論は、余り有益ではなかった。しかし、もし現実的な経験と専門知識を持ったバーナンキ氏のような人が、その議論を主導することになれば、もっと現実的なものとなるのではないかと思う。」

政治的緊張

一見したところでは、中央銀行がある暗黙の水準にインフレ率を維持したいと宣言することについては、それほど異論がないように思える。

例えば、イングランド銀行は、英国消費者物価上昇率を2%±1%以内にするような金利を設定している。

世界の多くの国々での主な批反は、最適なインフレ率の値が明らかになっていないことである。アラン・グリ―ンスパン議長を含めた多くの中央銀行マン達は、目標値に縛られることを嫌う。

しかし、日本では、この政策は政治的圧力と結び付けられ、中央銀行マンに嫌われた。なぜならば、これは、インフレを刺激するために日銀に何でもやれと強要するものだと見られたからである。

その当時、ゼロ金利や金融システムへの潤沢な資金供給が、明白にデフレを解消するに至ってなかった頃で、インフレ・ターゲットの賛同者たちは日銀に株や不動産やその他、インフレを起こしそうな手段は、何でも採れと日銀をせめ立てたのである。

この考えは、もし日銀がそれほど必死になっているのであれば、国民のインフレ期待が上昇し、その結果、実質金利を下げるだろうという理論に基づいている。実質金利は、名目金利からインフレ率を差し引くことによって抽出される。

しかし、インフレをかき立てることで、中央銀行の信頼性を担保するというような考えは、日銀職員にはなかった。日銀は、デフレに対処し金融恐慌を防ぐための努力において、量的緩和と呼ばれる政策に頼った。その政策の枠組みにおいて、日銀は、単に金利をゼロに固定するよりも金融情勢をより緩和するために、莫大な量の余剰資金で金融市場を湧かせた。

「日本では、一般的にインフレ・ターゲットを議論すると、人為的にインフレを累進させると考えてしまう。」と東京UBS証券会社チーフエコノミストで、元日本銀マンの白川浩道氏は語る。

インフレターゲットの妥当な討論は、インフレ率が少なくとも1%以上となり、日銀が、デフレとの闘いに勝利宣言をするまで待たなければならないであろう、と彼は語る。

2、3年前の論争で見落とされたものは、目標としたインフレ率が、短期ではなく中期の目標として想定され、日銀の独立性を維持するに十分な柔軟性を持っているということであった。

たとえインフレ率が、目標の下限に近づいたとしても、もし、1、2年の間にインフレ率が上限を超えるリスクがあると考えるなら、中央銀行は金利を上げることができるのではないだろうか。

自民党衆議院議員で、インフレターゲットの強力な推進者である山本幸三氏も、「日銀は、柔軟性を失うなどと心配することはない。」と言う。

「むしろ反対に、透明なフレームワークを設定することで、日銀は、金利引き上げや引き下げの度に遭遇する政治的圧力をかわすことが出来るはずだ。」と旧大蔵省出身の山本幸三氏は指摘する。さらに、「日銀は、インフレターゲットを採用せざるを得なくなるはずで、それなら、準備を早めた方がよりベターではないか。」とも付言している。

JPモルガンの菅野氏は、「ひとつの重要な問題は、一般物価水準とは違って、すでに始まっている地価や他の資産価格の上昇にどう対応するかということだ。」と言う。

日銀が、1980年代後半の「バブル経済」期における、資産価値を制御できなかったことが、1990年代の大市場崩壊と経済不振の世紀を生じさせたからである。

10月25日 東京(ロイターズ)―――