「量的金融緩和の解除」の舞台裏(2006.3.13)

「量的金融緩和の解除」の舞台裏

2006年3月13日
衆議院議員 山本幸三

1 2006年3月9日は、日本の金融政策にとって歴史的な日となった。日銀が5年続いた「量的金融緩和政策」を解除したのだが、同時に、新たな金融政策運営の枠組みの導入ということで、数値で「中長期的な物価安定の理解」というものを示したからである。具体的には、「消費者物価の前年比で0~2%程度。中心値は、概ね1%前後」というものである。
 私は、今回の政策決定会合で「数値が出るか、出ないか」が評価の分かれ目になると公言してきたので、直ちに「今回の決定は画期的であり、高く評価する。」とのコメントを発表した。国民に分かり易い数値が示されたことで、市場の期待が安定化し、政策の透明性が増すからである。私の長年の主張が取り入れられた訳で、感慨無量である。

2 今回の決定は、多くの人達には意外だったようだ。日銀は、まさか数値までは出すまいと思っていたようだからだ。しかし、私は、一月前からほぼ確信に近いものを持っていた。それは、2月13日の衆議院予算委員会での私の質問に対する福井総裁の答弁が極めて前向きだったからだ。このことに気付いている人がいたら、随分儲けることが出来ただろうにと思うのだが、ほとんど誰も注目しなかったようだ。
 質問の最後で、私は「物価安定数値目標政策」について問い、「消費者物価前年比1~3%位の目標を持ってやっていく。しかし、途中の過程では日銀が自由にやってもらって結構、政治家も一切文句を付けないというようなフレキシブルなやり方で如何か?」と尋ねた。これに対し福井総裁は、「国民の皆様方がこれから将来に向かって本当に安心して経済生活が出来る物価の動きの安定的なゾーンとは何だろう、そこのところは我々も真剣に探し求めながら、日本銀行としては出来るだけ政策の透明性のためにどういうメッセージを出せるか、さらに真剣に工夫を重ねていきたいということでございます。」と答えたのである。これを聞いて私は、「あ、福井総裁は、目安としての数値は出すな!」と直感したのである。そこで私は、時間がきているにも拘わらず敢えて最後の発言を求め、「ありがとうございました。日本銀行総裁にはぜひ大いに頑張っていただきたいと思いまして、よろしくお願いします。」とエールまで送ったのである。

3 マスコミは、このやり取りに大いに注目するのではと期待したのだが、翌日の新聞、テレビは全く逆で、この最後の総裁発言は無視し、最初の方での「量的緩和政策解除」に関する発言だけを取り上げ、「日銀総裁、量的緩和政策解除に改めて意欲を示す。」とだけ報じた。私は、自分の直感が間違っていたのかなと思い、急いで議事録を取り寄せ読み直してみた。確かに「量的緩和解除に前向き」というのはその通りだが、従来通りの発言であり、大きく踏み込んだのは、この最後の部分だと改めて確信した。マスコミの記者達のレベルがもう少し高かったら、「総裁はこの時すでに数値を出すことを決意していた」と見抜くことが出来ただろうにとつくづく思う。国会の質問というのも真剣勝負だから、しっかり聞いていれば相手の真意も滲み出てくるものなのだ。今回の決定で、私の直感が正しかったことが証明された。

4 昨年の12月、中川政調会長の特命を受け自民党の金融政策小委員長を引き受けた時、「どうしたら持論の物価安定数値目標政策を実現出来るだろうか」と思いを巡らせた。
日銀法改正で「インフレ目標政策」を導入出来れば一番よいが、現実問題としてこれは不可能だ。自民党内にも反対派は多いし、連立与党の公明党では賛成者は皆無である。可能性が生じるのは、日銀が「目安」も示さず「量的緩和政策解除」を強行し、これが失敗してまたデフレに逆戻りしたときだけである。それでも、簡単にはいかない。
実を取るとすれば、日銀にその気になってもらうしかないと判断した。そこで今回の小委員会では、日銀とのコミュニケーションを密にすることとし、毎回出席してもらうこととした。いきおいその打ち合わせもあって、日銀の連中とはしょっちゅう会うことになった。

5 日銀がその気になるためには、厳格な「インフレ目標」という理想は譲らざるを得ない。政策の柔軟性を失うということを極端に嫌うからである。そこで、「ソフトな目標政策」という概念を打ち出し、達成期限とか途中での政策選択とかについてはうるさく言わないことにした。「消費者物価前年比で0.5~2.5%上昇を中期的に目指す。途中このゾーンを外れたり、数値と逆向きの政策を採ることも当然有り得る。また、予見し難い事態が生じた場合にはこの限りではない。ただし、日銀はその説明責任を果たす。」とのメモを福井総裁にも伝わるよう手渡したこともある。
 その後あらゆる機会を捉えて、「数値が入らなければ絶対駄目だよ。」との強いメッセージを送り続けた。中川政調会長にも「数値が入ることが必要だ・」と言い続けてもらうようお願いした。小泉総理の「二度とデフレに逆戻りすることがあってはならない。」との発言には驚いたが、日銀には、大きなプレッシャーとなった。
 日銀が3月解除を急いだことも、数値導入の助けとなった。まだ早いという声があるにも拘わらず解除に踏み切る訳だから、何らかの妥協策を出さざるを得ないと判断したことは間違いない。

6 そして9日の決定会合となるのだが、福井総裁初め日銀幹部は気難しい審議委員の説得に苦労したに違いない。かなりの審議委員が「数値を示すことには反対」との発言を繰り返していたからだ。
 そこで私は、審議委員達を牽制するコメントを予算委員会の冒頭に申し上げた。すなわち、「この4月から年金生活者の年金が下がることを知っているのか。去年の消費者物価が0.3%下がったからだ。国民年金だけの人の年収は80万円位だ。それに比べて日銀審議委員の年収は、2780万円以上だ。つい最近再任された人もいる。それだけの年収がある人達は、年金生活者の年金を少しでも上げてやるような政策を打ち出す義務があるのではないか。」と。これが審議委員の発言にどの程度影響したかは分からないが、少なくとも再任された方には、牽制になったのではないか。

7 英フィナンシャル・タイムズは、「依然デフレであり、転換は時期尚早」と批判的なようだ。確かにそうかもしれない。しかし日銀にとっては、米ももうすぐ金利引き上げ打ち止めになりそうだし、今しかないと判断したのだろう。
 私は、「「ソフトな目標政策」という枠組みさえ出来れば、いつ解除しても構わない。」と公言していたので、今回は日銀の判断を尊重したいと思う。小泉総理初め多くの閣僚も容認しているようだ。

今後、この枠組みが日本経済のパフォーマンスの向上に資するように大いに期待しているところだ。

8 長い時間がかかったが、ようやく「日本型のソフトな物価安定数値目標政策」を導入することが出来た。日銀は勿論「インフレ・ターゲット政策」ではないと主張するが、「目安」があるということは確かなのだから。この政策枠組みの転換によって、国民のデフレ心理がマイルドなインフレ期待に変わっていくことが出来れば、その効用は計り知れない。いつの日か、「あの時、レジームの大転換が行われたのだ」と評価されることを大いに期待したい。

(以上)